気論(心気力の一致)

気(き,KI,Qi)とは、中国思想や道教や中医学(漢方医学)などの用語の一つ。一般的に気は不可視であり、流動的で運動し、作用をおこすとされている。しかし、気は凝固して可視的な物質となり、万物を構成する要素と定義する解釈もある。宇宙生成論や存在論でも論じられた。

以上~ウィキペディア~より

さて、「気」という大変なテーマについてですが、現代の中医学はもちろん、日本の経絡治療にも「気」を重視する流派は多数あります。

と、言いながらも大事な鍼灸の技術と気をリンクさせて指導できる指導者はほとんどいないものですから、昔から気功や中国拳法、はたまた座禅などを学校のカリキュラムに入れてみたり、個人で習いに行く鍼灸師や鍼灸学校の学生が後を絶ちません。また、一切「気」を信じない鍼灸師も多数います。

それでは、私の考えている「気」とはどういうものなのか・・・・・・展開していきます。

私の「気」の歴史

小学6年から柔道を始め、中学時代は空手、高校時代に古武道に入ります。このころから、座禅を始めました。そして1990年初頭、空前の「気」ブームが到来します。そして、様々な気功や中国拳法を経験もし、また、様々なトリックも経験してきました。真言密教にも触れました。その四十数年にわたる、もう一つの主催者のプロフィールだと思ってください。

このページは、このような流れになると思います(変更の可能性は大です)

千葉周作→樵(きこり)の話→山岡鉄舟→猫の妙術→中国拳法→気功(内気功・外気功・気功麻酔)→電子顕微鏡で見る「気」→私の指導する鍼灸の「気」とは

それ、剣は瞬息、心気力の一致・・・気論序章

(それ、けんはしゅんそく、しんきりょくのいっち)と読みます。

いきなり、結論からです。

この言葉は、幕末の剣豪(剣豪とはちょっとイメージが違いますが)千葉周作のものです。

千葉周作は、北辰一刀流の開祖です。北辰一刀流は小野派一刀流からの分派です。千葉周作の功績は、八段階(目録とか、切り紙とかですね)あった一刀流の免許の段階を、わずか三段階に改め、防具を積極的に取り入れその指導力には、特筆すべきものがあったようです。当時の弟子は、三千人を超えたといいます。幕末の江戸三大道場の一つ、「玄武館」の当主です。

司馬遼太郎 著 「北斗の人」から引用させていただきます。

「北斗の人」とは、千葉周作が主人公の歴史小説で、修行時代から一派を確立するまでの物語です。

 引用~周作は道場でも、こうした兵法独特のまやかしの用語は一切使わなかった。
「剣の要諦はひとことで申してどういうことでございましょうか」と門人がよくきく。こういうばあい、普通ならば、「曰く、無」
などと師匠でさえわけのわかっていない哲学的表現をとるのが剣術家の常であったが、周作は、「剣か。瞬息」
とのみ教えた。

剣術の要諦はつきつめてみれば太刀がより早く敵のほうへゆく、つまり太刀行きの迅さ以外にはない。ひどく物理的な表現であり教え方であった。周作は剣を、宗教・哲学といった雲の上から地上の力学に引きずりおろした、といっていい。すこし長い言い方でいうと、周作はつねづね、

「夫(それ)剣は瞬息、心・気・力の一致」と、教えた。
 

あるとき、古参の門人が、「一刀流の構えの中に『地摺りの星眼(じずりのせいがん)』という特別のかまえがあるそうでございますがどういうものでございますか」
ときいたことがある。

「そんなものはない」 と、周作は無表情にいった。

古参門人はおどろき、 「しかし大先生(浅利又七郎)が、たしかにそうおおせられたように、記憶しております」

「たれが申そうとないものはない。ただの下段の構えのことだ」下段の構えのことを、そのような誇大な名で別称してきただけのことだと、周作は言いたかったが、そこまでは言うのを憚った。

ただ、こう説明した。「太刀を星眼(せいがん)、つまり敵の目へ、または下段つまり敵の咽喉元へつける。この場合、いくら気合いをこめても敵はなかなか後ろへ退(さが)らぬものだ。そのときには当方が地を摺るような心で押してゆく。奇妙に敵はさがる。それだけのことだ。構えとしては下段にすぎない」~以上引用

このように、非常に現代的な感覚の持ち主であればこそ、このように当時評されたのだと思います。『「他道場で三年かかる業(わざ)は、千葉で仕込まれれば一年で功が成る。五年の術は三年にして達する」という評判が高く、このため履物はつねに玄関から庭にまであふれ、撃剣の音は数町さきまできこえわたって空前の盛況をきわめた』というほどであり『凡才でも一流たりうる』という剣術教授法が特徴であった。

いかがでしょうか? 私は、この剣ということを「鍼」にそのまま置き換えようとは思っていません。一番大事なのは、心・気・力の一致です。

心は、気と力(りょくとは、技術、スキルのことです。そのまま、腕力と思わないでください)をコントロールするものです。気は、力(技術)を高めながら、その技術にあった「気」を構築していかなくてはならないものなのです。決して、よそからの借り物(気功や太極拳)で、鍼の技術とリンクできるものではないということです。ごらんなさい。中国拳法や気功をやりこんでいる先生方の、鍼灸の技術を・・・・・・・・・

もっと大事なことはここからです。上達した技術は、「気」や「心」にフィードバックし、「気」と「心」をさらに高めていく。そして高まった「気」と「心」がさらに「技術」を高めていく・・・・・延々と繰り返します。こうならなければいけないのです。いきなり結論からなのですが、序章はどうしても抽象的な言い回しなってしまいました。ページを重ねるにしたがい、明確になっていくと思いますので、ぜひ、続けてご覧ください。゜

このページは、鍼灸という技術と、「心・気・力」の一致を、私の得意分野である古武道(主に剣術)をとおして解説していきたいと思います。

とりあえずの結論です。

気とは、対象となるスキルによって培われる、「意識の技術化」と言えるでしょう。

樵(きこり)の話(サトリの話)

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